くたくたくブログ

都内在住。某国立大学文系。

他人と比較することでしか満たされない者たち

 

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こんにちは、くたくたくです。

 

 

「あいつより顔がいい」

「あの子よりスタイルがいい」

「年収が上だ」

 

日々、誰かと自分を比較し、その結果に一喜一憂する。

そして自ら終わることのない競争社会へと足を踏み入れていく。

 

現代の世界は競争社会にまみれている。

 

もちろん今の世界は競争社会がなければ到達しえなかっただろうことはもちろん重々承知である。

だが、必要以上に競争を強いる世界となっている。

 

友達はもちろん親やいい大人たちもずっと競争し続けている。

 

自分の子が友達の子よりいい大学に入って大企業にいけば堂々顔をふりまけられる。

だから、子供の将来を案じてではなく自分のステータスとして勉強をさせる。

 

俺の友達の親には自分の子は東大理Ⅲか慶応薬学しかダメと押し付けてくる親がいた。

というのもその親の姉の子供は全員東大だからだ。

 

国立のトップ・私立のトップしか許さないというものだった。

 

案の定その友達はそこまで勉強ができなかった挙句、親のプレッシャーにより全く勉強をしなくなり、昼間は寝て夜ゲームや夜遊びをするようになっていった。

 

親の無駄な競争への意識が子供を破滅へと導く結果になった。

 

 

 

誰かと比較して満たされるものなどまたすぐになくなる。

比較する目的といえば、誰かよりも上であることを認識して安心することであるのだが、あまりにも悲しい人生すぎないか?

 

誰かに勝ったからといって幸せであるわけではない。

 

 

 

競争社会というのはあまりにも残酷すぎる。

というのも、本当の勝者は生まれないからだ。

 

ここでいう本当の勝者とは人生を充実させ満足している人のことだ。

 

たとえ、競争に勝ったとしても戦いはずーっと続いていく。

休む暇などない。

誰かに負けるわけにはいかないというプレッシャーを感じることで体に支障をきたす可能性も存分にある。

 

 

競争社会に身を投じている人は気づかない。

身近なもっと大切なものを削って無意味なことに充てていると。

そして、最後に感じるのは、空虚感・虚しさだけだろう。

 

競争は社会のためになったとしても人の幸せにはなりえない。

 

競争社会を批判ばかりしたいわけではないが、あまりにも大衆が迎合しすぎている気がする。

 

 

今でさえ、何不自由なく暮らせるものが日本には存在しているのにさらに発展して何の得があるのだろうか?

これ以上機械によって長生きさせられて何のために生きるのだろうか?

 

多くの人はお金があれば幸せになれる・もっと便利な世界になれば幸せだと思うのだろう。

だが、本当に幸せを得る人はそうは考えないどんな時でも何らかの幸せを見出している

 

比較によってもたらされる幸せなどはまやかしでしかない。

 

 

 

自分を自分が本当に認めることができ、競争をやめたとき人は競争社会より一歩上の段階へと進むのだろう。